まだ仮開業…

フォトライブラリー特集 NO.7 山陰特急

〜国鉄型車両の宝庫、裏日本のもう一つの大動脈〜


〜はじめに〜

山陰本線の歴史は明治30年の京都−嵯峨の開業に始まり、日清・日露戦争時に急速に延伸され軍港舞鶴へ向けて物資輸送を中心に裏日本の大動脈として不可欠な存在となりました。しかし沿岸部の多くは起伏に富み、中国地方は山間部が比較的なだらかな反面平野が少なく全体を通して工事は難航しました。東部分の全通を見たのは明治45年に当時全国で最も高かった餘部橋梁開通で、西側では更に困難を極め、山陽本線と中国地方を2分する全長675`に及ぶ幹線が完成されたのは昭和8年、36年の歳月を費やしました。
太平洋戦争時は空襲で被災した山陽本線に代わって九州へ物資を運搬し、輸送量はピークとなりました。以後昭和40年代初頭にかけて貨物輸送が順調に伸びていきましたが、特急列車の運転は、第1次国鉄改革期の昭和36年10月1日に設定された「まつかぜ」まで待たれる事になります。


国鉄時代の文字マーク(94.11 綾部)

イラストマーク(94.7 京都)

米子車の文字マーク(94.8 京都)

☆ あさしお(京都−東舞鶴・天橋立・城崎・浜坂・鳥取・倉吉・米子)

列車名の由来は昭和36年に金沢−出雲市(後に米子)に運転された急行気動車で、同43年10月の白紙ダイヤ改正から行先を大社として列車名も「大社」として一旦消滅しました。それから4年後の同47年8月のお盆期には臨時特急として短期間運転され、同年10月2日より、9月29日の運転を最後に電車化された日本海縦貫特急「白鳥」のキハ82系ディーゼル車を譲り受けて定期4往復が設定されました。編成は倉吉行が7両、城崎行2往復・米子行が10両での運転でした。城崎行は福知山経由と宮津線経由で経路が分かれ、全列車に食堂車を設けてサービス向上に努めました。同57年7月1日には使用車両をそれまで伯備線で活躍し、電化で電車化された「やくも」に使用された181系ディーゼル車に変更し、若干のスピードアップを果たしました。昭和61年11月1日からは向日町運転所所属車のみで運転されていた車両から、福知山線電化により廃止された「まつかぜ」に使用されていた米子運転所の181系も運転に加わり、順調に運転本数も増え、平成8年3月のダイヤ改正で電車化されて「きのさき」「はしだて」に代わり廃止されるまで、代替車不足の理由も有って急行「丹後」と共生する形で運転されました。

☆ 2代目いそかぜ(米子−小倉・博多)

列車名の由来は昭和40年10月1日から新大坂−宮崎にキハ82系特急型ディーゼル車で運転された列車ですが、同43年9月30日に、翌日からの日豊本線電化を受けて481系特急「日向」に発展され廃止。2代目となる列車は昭和60年3月10日より、廃止された山陰横断特急「まつかぜ1・4号」の米子−博多を引き継ぐ形で設定されました。車両は「おき」に使用されているキハ181系特急型ディーゼル車が当り、当時は4両編成で運転され、JR化後3両へ減車、平成6年12月からはJR九州の運転ネックで特急料金体系を改訂した小倉−博多を廃止して現在に至るものの、設定以来今日に至るまで孤高の存在として毎日細々と運転を続けています。


2代目「いそかぜ」(00.2 門司)

2代目(文字マーク緑色 99.3 浜田)

3代目「いなば」(00.8 鳥取鉄道部)

☆ 2代目・3代目いなば(鳥取−米子/岡山−鳥取・倉吉)

列車名の由来は昭和30年代に鳥取−広島を山陰・木次・芸備線経由に運転された準急(→急行)気動車で、鳥取発は昼行、広島発は夜行での運転でした。しかし列車名は短命に終わり「ちどり」に吸収。最初の復活は同50年3月14日に九州ブルートレインの2段式寝台車投入で転用された3段式14系ブルートレインで、東京−名古屋を同じく急行から格上げされた「紀伊」と併結して初めて特急として設定されました。しかしそれも3年半後の同53年10月2日に列車名を「出雲3・2号」に統一して再び解消されました。特急として2代目となった「いなば」は平成8年3月に鳥取−米子に設定された短距離都市間連絡特急で、鳥取発は夕方、米子発が朝出発する1往復の設定でした。平成9年3月からは智頭急行を経由して新大阪−倉吉を結んだ「はくと」2往復を全て7000型振り子式ディーゼル車に置き換え、余剰となった国鉄型キハ181系を使用して岡山−鳥取・倉吉、山陽・智頭急行・因美線経由に運転区間を変更して再設定。鳥取−米子の列車は「くにびき」と「おき」が鳥取に乗り入れた形で発展解消されました。

☆ エーデル北近畿(新大阪・大阪−福知山・東舞鶴・若狭高浜・浜坂)

過去1度だけ臨時急行「みやづ」の後結で福知山へ回送されたキハ65−801(95.6 大阪)
阪神大震災で不通となった東海道本線、芦屋−三ノ宮の迂回輸送用に増結された下り27D(95.2 和田山)

☆ エーデル丹後(大阪−天橋立)

専用のキハ65−601・1601で走る15M(95.6 大阪)
珍しくシュプール用中間車キハ65−611・1611が15Mにぶら下がる(95.10 大阪)

☆ エーデル鳥取(新大阪−鳥取・倉吉)

2両目だけシュプール車の基本4両編成(94.? 大阪)
両端がエーデル丹後、中間2両はシュプール用キハ65−621・1621で、
専用車は1両しか付けていない珍しいパターン(95.? 大阪)

☆ おき(新大阪−出雲市/鳥取・米子−小郡・下関)

上り「いそかぜ」と交換する3号(旧出雲市)
「ほのぼのSUN-IN」と並ぶ1号(旧出雲市)

☆ 北近畿(新大阪・大阪−福知山・豊岡・城崎)

JR化を目前に控えた昭和61年11月1日に、福知山線と山陰本線、福知山−城崎を電化した事を受けて設定、車両は日根野電車区に所属して「くろしお」に短期間だけ運転された485系電車を新設された福知山運転所へ転用し、それまで福知山線経由で運転されていた特急「まつかぜ」と急行「丹波」を吸収しました。JR化後の昭和63年に福知山と宮津を結ぶ宮福鉄道(→北近畿タンゴ鉄道)が開業し、週末臨時特急の「エーデル丹後」を大阪−天橋立に運転する事となり大阪−福知山を後部に連結して運転する形態となりました。平成3年には七尾線電化に伴い転出する113系直流近郊型電車に搭載する交流機器をデッドセクションの存在しない区間しか走らない「北近畿」用車両に求め、直流型113系は415系800番代に、交直流型485系は183系800番代とそれぞれ改造されました。

クハ183−850形(元「くろしお」先頭車クハ480 大阪)
クハ183−751(元クハ481−752 大阪)
増結し、前ユニットのパンタグラフが降ろされている8両編成 クロハ183−803形(元クハ481−200 大阪)
トラックと衝突し、前面を大破したクロハ481−214(現クロハ481−801 JR西日本のポスターより)

「北近畿」の転機は平成8年3月16日のダイヤ改正の折に、山陰本線、園部−福知山が電化されたことにより大量に183系電車が投入され特急列車の大増発が行われた時期に至ります。京都発は「きのさき」「はしだて」となり、新大阪発は城崎行が既存の「北近畿」が、天橋立行には廃止された「エーデル丹後」に代わり「文殊」が設定されて、行先によって列車名を大別しました。その際にヘッドマークも新設特急に足並を揃え、丹後半島の背景はそのままにオレンジを基調にしたものに交換されて現在に至っています。新たに投入されたJR西日本標準色の183系は平成11年から使用され、国鉄特急色に細いラインで直流車を表したこれまでの福知山運転所所属車と合わせてバリエーション豊かに運転されています。


衝突事故から非貫通型となって
甦ったクロハ183−801(和田山)

クハ183−751
(城崎)

クハ183−850形
(新大阪)
クロハ481−800形(元クハ481−200 96.4 城崎)
山陰本線、薗部−福知山が電化するまで東舞鶴−東舞鶴を結んだ「北近畿リレー号」(94.11.3 綾部)

☆ きのさき(京都−城崎)

平成8年3月14日に電化が完成した山陰本線、園部−福知山を含めた京都と城崎を結ぶ主力特急として、それまでのディーゼル特急「あさしお」に代わって運転されました。車両は前年に「サンダーバード(←スーパー雷鳥サンダーバード)」の大量投入で余剰になった向日町運転所所属の485系特急型電車を、交流機器撤去、先頭車のグリーン車化、塗装変更を行って投入しました。
ヘッドマークは北近畿エリアの特急電車共通のベースで、青を基調としています。当初編成は京都総合車両所所属の新塗装車のみを「はしだて」「文殊」「たんば」と共通使用していましたが、現在は福知山運転所の国鉄色でも運転されています。

現在のヘッドマーク「おき楽リゾート」マーク(99.3 由良)
青色ベースの「きのさき」マーク(96.4 城崎)

☆ くにびき(鳥取・米子−米子・益田)

国鉄末期の昭和61年11月1日のダイヤ改正から181系特急型ディーゼル車4両編成で設定された、一応国鉄地代の特急列車です。設定当初から米子−益田の運転で、米子発は夕方、益田発は朝の、孤高の存在で長く推移しました。2往復に増発されたのは平成9年3月15日のダイヤ改正で、岡山−鳥取・倉吉に新設された特急「いなば」の名称をそれまでの運転区間、鳥取−米子から移管する為、空白となった列車名を統一する形での発展でした。しかしその際特急列車の直通本数の少ない鳥取−米子を、益田から直通させる事で、結局は増発を果たした事になります。
車両は現在も後藤総合車両所の181系特急型ディーゼル車3両編成を、「おき」「いそかぜ」と共に使用しています。聞き慣れない列車名の由来は古書、古事記・日本書紀編纂に記された神話、島根半島と大山の関わりに起因しています。

運転開始当初のイラストマーク(旧出雲市)
鳥取鉄道部で「はまかぜ」「いなば」と共に憩う(00.8.14)

☆ タンゴエクスプローラー(京都−西舞鶴・久美浜/新大阪−宮津・久美浜)

☆ タンゴディスカバリー(新大阪・東舞鶴・天橋立−東舞鶴・久美浜・豊岡/京都・天橋立−久美浜・豊岡・城崎)

急行「丹後」と交換する1号(94.11 園部)
試運転の為、4両編成で大阪に姿を見せた「ディスカバリー」(96.3)

☆ たんば(京都−福知山)

☆ はくと(新大阪−鳥取・倉吉)


「はくと」(94.12 新大阪)

「味めぐりはくと号」(94.12 大阪)

「はしだて」(99.7 宮津)

☆ はしだて(京都−天橋立)

☆ はまかぜ(新大阪・大阪−城崎・香住・浜坂・鳥取・倉吉・米子)

画像左:00.8.13 鳥取鉄道部
画像右:95.5 大阪

「はまかぜ四季彩号」(94.6 大阪)

「マリンはまかぜ」(94.7 大阪)

ヘッドマーク盗難後(94.8 大阪)

☆ まいづる(京都−東舞鶴)

平成11年10月1日の舞鶴線電化に合わせて3往復が設定された、山陰(北近畿)特急では最も新しい列車です。かつては急行「丹後」、特急「あさしお」がフォローした区間で、途中綾部駅で方向を変えて舞鶴線に入線します。車両は京都総合車両所所属の183系特急型電車の新塗装車のみを「きのさき」「はしだて」「文殊」「たんば」と共通使用しています。ヘッドマークは北近畿エリアの特急電車共通のベースで、茶を基調としています。

京都駅に進入する「まいづる」(00.4 京都)
JR西日本色の183系「文殊」(大阪)

☆ 文殊(新大阪−天橋立)

平成8年3月14日に山陰本線京都口の電化開業で大量投入された183系特急型電車を使用し、それまでの臨時ディーゼル特急「エーデル丹後」に代わって3往復が設定されました。
ヘッドマークは北近畿エリアの特急電車共通のベースで、緑を基調としています。当初編成は「きのさき」「はしだて」「たんば」などの京都総合車両所所属の新塗装車と既存の「北近畿」用、福知山運転所の国鉄色の双方で運転されていましたが、現在は国鉄特急色の「北近畿」車だけの設定になっています。最近の話題として余り好感を持てないと思われる列車名は、天橋立駅にも隣接する、「三人寄れば文殊の知恵」のことわざにも名を残す学問の神を奉った文殊堂に起因します。


連動式ではない為、終着でもヘッドマークを替えずに回送する国鉄色「文殊」(新大阪)

☆ まつかぜ(京都・新大阪・大阪−鳥取・松江・米子・博多)

昭和36年10月1日に、山陰本線初の特急列車として京都−松江に大阪を経由する福知山線経由で設定され、82系特急型ディーゼル車9連を使用しました。同39年3月20日の時刻改正で運転区間は山陰本線を幡生まで走破し、九州博多まで延長されて編成も6両の基本編成に鳥取で切り離される付属編成3両に分離されました。同42年10月からは付属編成を1両増結の上米子回転にし、43年10月からは時刻表上では付属編成も6両となり、計12両編成の特急らしい堂々たる編成で運転しました。同47年3月15日の改正では山陽新幹線の開業対策で廃止された「やくも」に代わって鳥取発着1往復が6両編成で増発され、博多行基本編成も1両増結し、13両編成と最盛期を迎えました。

遠く博多へ向かうべく新大阪駅に据えられたキハ82系「まつかぜ1号」(84.1.9)
イラストマークの「まつかぜ2号」(86.5.3 香住)

転機となったのは昭和47年10月2日のダイヤ改正で、京都−城崎・倉吉・米子に「あさしお」が運転を開始したのに合わせて始発駅を変更し、下り1号は大阪発、その他は新幹線接続を計る為新大阪発着に改められました。1号も後に新大阪発に改められ、10年後の同57年7月1日に倉敷と伯耆大山を結ぶ伯備線と、山陰本線発の電化区間、伯耆大山−知井宮(現:西出雲)が開業し、岡山−出雲市の特急「やくも」が電車化され、その転用として鳥取−米子を延長した「まつかぜ3・2号」を82系から181系に変更しました。同60年3月14日のダイヤ改正で直通運転上のネックとなっていた米子−博多を分離して「いそかぜ」とし、食堂車を廃止、「まつかぜ」から始まった82系の山陰本線運転もこの時廃止され、181系が新大阪−米子に2往復運転と、単調な列車となりました。結局同61年11月1日の改正で関西、北近畿、口山陰地区から米子方面へは「はまかぜ」が播但線で直通する役割を引き継ぎ、福知山線電化に合わせて城崎行の電車特急「北近畿」に吸収されて廃止されてしまいました。イラストヘッドマークでの運転は1年半と、短命に終わりました。


キハ181系は米子行3号
(84.1.3 大阪)

キハ181系によるリバイバルやくも
02.3.31 岡山

縦長マークのクモハ381形
(旧出雲市)

☆ 2代目やくも(大阪・高松・岡山−松江・出雲市・知井宮・西出雲・浜田・益田)

元は米子−博多を美祢線経由で運転されていた準急の列車名で、昭和40年10月1日に「まつかぜ」の姉妹列車として新大阪−浜田、福知山線経由のディーゼル特急でデビューしました。しかし山陽新幹線の岡山開業が待たれる同47年3月14日に初代の特急「やくも」は姿を消し、倉敷から米子(伯耆大山)を結ぶ地方連絡線の伯備線に山岳勾配とスピードアップを見越して中央西線の「しなの」(名古屋−長野)、奥羽本線の「つばさ」(上野−秋田)に使用されていたディーゼル特急車の181系を岡山−出雲市・益田に設定して翌3月15日に再び「やくも」の名称が冠されました。
編成はグリーン車、食堂車を持つ最大10両編成で、4往復を一定時間に運転させたこと、自由席を設定したことで昭和50年3月10日の時刻改正には山陰特急初のL特急の称を得ました。当時は岡山−出雲市を3時間43分で運転されていましたが、同48年7月10日から中央西線「しなの」で、同53年10月2日には紀勢本線「くろしお」(天王寺−白浜・新宮)でそれぞれ気動車を駆逐し大幅なスピードアップを果たした381系直流振り子式特急型電車を同区間にも電化の上導入し、設定からほぼ10年後の昭和57年7月1日に9両編成で電車化。昭和60年8月から編成は基本が6両に短縮され、現在では3両編成の列車も存在しますが、最速の「スーパーやくも」では運転時間上下とも2時間49分で走破しています。
昭和63年4月1日に開通した瀬戸大橋線を経由して高松発着の「マリンやくも」や、平成2年に行われた花と緑の博覧会への送客対策で大阪−岡山を延長運転した列車も存在しましたが、現在では完全に岡山で新幹線「のぞみ」にリレーした時刻設定になっています。平成6年12月から運転された「スーパーやくも」以外は塗装を国鉄特急色のままで推移していましたが、同8年から車内アコモディーションの改良と塗装変更が順次行われ、現在は全車グレーのベースに緑のラインを配したデザインに統一されています。

グリーン車と増結3両がスーパー色の「やくも」(94.11 岡山)
基本編成の岡山方は改造車クモハ381形が先頭(90.5 備中広瀬)

内装のアコモ改善に合わせて塗装も専用となった(左右共 99.3 米子)

☆ スーパーやくも(岡山−出雲市)

全国各地の特急列車スピードアップに呼応して、平成7年3月のダイヤ改正で設定された列車です。使用されているのは出雲電車区の381系直流振り子式特急型電車6両編成ですが、従来の国鉄特急色を脱し全体に紫を基調としたシックなデザインで編成を統一して、先頭車は先の紀勢特急「スーパーくろしお」と同一のパノラマグリーン車を下り方に配して好評を獲ました。
しかし車内のアコモディーションはほぼ国鉄色の「やくも」に同じ、パノラマグリーン車も2両しか用意されていない為、その他の列車は中間グリーン車に乗車せざるを得ない状態です。最高速度は他の「やくも」と車両の性能は同じな為120`ですが、最速列車では伯備線を備中高梁駅か新見駅しか止まらない設定もあり、10分前後のスピードアップにはなっています。


「スーパーやくも」登場前、
過渡期の「やくも」(94.11 岡山)

稀に使用されるスーパー色の「やくも」
(99.3 出雲電車区)

2両しか存在しない正統パノラマ
グリーン車 クロ380(02.3.30 岡山)

パノラマ先頭車不足の為クモハ381が
代役の「スーパーやくも」(98.4 岡山)

増結役が多いクハ381−100型
「スーパーやくも」(00.10.30 岡山)

災害の為3両のやくも編成で運転する
「スーパーやくも」(00.10.30 岡山)
出雲電車区に留置される付属編成(99.3)
キハ82系で運転されていた初代「やくも」(大阪)

〜「山陰特急」ロケ地ガイド〜


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